Omiya Alpine Club
山行報告
DATA CONTENTS
日付 2009/12/26〜12/30
宿泊 テント
天気 12/26 雨みぞれのち曇り 12/27 晴れ 12/28 雪 12/29 晴れ 12/30 曇り
メンバー 横田川 岡野 大竹
歩行時間 26日 新穂高温泉11:15 滝谷出合15:40 テン場16:15
27日 テン場7:20 槍平9:00 中崎尾根2388m峰先 12:40
28日 停滞
29日 テン場6:20 西鎌稜線8:00 槍の肩9:40 槍ヶ岳山頂10:45 テン場13:45       槍平 16:30
30日 槍平 8:00 新穂高温泉 11:00
アクセス 車 川越⇔東松山⇔関越道⇔上信越道⇔松本⇔新穂高温泉
Report by 【大竹】
入山日、新穂高温泉は小雨模様。「雨が上がらないと動けない。」とリーダー横田川さんは車の中で再びシュラフにもぐり込む。11時すぎ、雨の上がるのを待って登山届けを提出し出発。雪の積もった林道を歩き、穂高平の牧場、白出沢出合を越え、今夜は滝谷の出合でスペースを見つけテントを張る。リーダー曰く、白出の出合の先にトレースがあるか否かが今回の山行の目的地変更の目安とのこと。個人的には前日に食したケーキの生クリームにお腹が負けてしまい大変な入山日となってしまった。避難小屋の100mほど先に沢の水を取れる場所があり、その近くに今夜の宿を決定。初日の夕食は大竹調理のキーマカレー。ジフィーズのご飯だが食が進む。翌朝、明るくなるころ行動開始。幸いトレースは先へと続いており槍平へ向かった。樹林帯の中をしばし登り槍平へ。ワカンを付け急な中崎尾根の末端より取り付く。この日は天気もよく、行動していると暑い。じわじわとアップダウンを繰り返し長い中崎尾根を登る。2400m位の場所にテントスペースを見つけ設営。風に備え周囲を掘った雪で盛り上げる。この日は岡野さん調達の乾燥グリーンカレーをいただき早々に就寝。翌日は朝から雪。外を見て停滞を決め込む。テントの周りがすぐに雪で埋まってしまい外側から雪で押され交替で除雪作業。粉雪が顔にかかり手指も痛くなる。テントからも出られない。午後になり小降りになった雪の中、横田川さん一人で偵察を兼ね西鎌尾根を目指し出発。4時ごろ戻るが往きのトレースが消えてしまったとのこと。雪の中、隣に単独行の青年が到着、テントが2張りとなり今夜の同宿となる。年末の寒波の情報もラジオより入るが、予報によると明日の天気は良く、行けそうと希望をつなぎ夕食を済ませ、就寝につく。この日は横田川さん特製雑煮、鶏ひき肉のだしがうまく出ている。5時起床出発。前にパーティーが入っており、トレースがある。途中で岩峰に向かい直上するトレースを付ける2人パーティーに声をかけ雪の斜面をトラバース。5人で斜面を横切っている時、ビシッという音と共に雪面にひびが入り、雪崩れるか、と肝を冷やす。岩と雪混じりの斜面を登り千丈乗越へ。ここよりワカンをデポしアイゼンに付け替えて肩の小屋を目指す。紺碧のスカイラインが美しく槍の穂先を形取る。肩の小屋では同行の単独者と2人パーティーとともに登攀準備をし穂先を目指す。鎖、手鉄梯子も表われており、危なげなく登りきることが出来た。頂上で横さんありがとう、と握手を交わす。北アルプス北部方面北鎌尾根360度の展望である。天気は良いが風は冷たい。来た道を戻る時に6人パーティ、ガイド山行と思われる4人パーティーとすれ違う。下りが苦手な岡野さんを考慮しリーダーがコンテで確保し安全に往路をたどる。テントに戻り撤収。槍に上った充実感からこの日のうちに下ってしまおうなどと言う話もしながら中崎尾根を下る。さすがに年末の29日でもあり、途中の尾根上にいくつかテントを見る。槍平につくころ日も落ちてきて今日は槍平泊りとする。月が穂高の方角から上がり冴え冴えと美しい。食事も終わり人心地するころ、外から「大宮さん、ここは雪崩れのあった場所だよ。」との忠告。雪崩れのあった場所、ということよりも「大宮アルパイン」と知っての忠告ということに不思議な薄気味悪さを覚え皆で首をかしげる。2年前ということだが、ここで雪崩れるというのは今日の雪の状況では想像し辛く、積雪の多いときや降雪中は極め細かい状況判断が必要なことを痛感なする。4泊目となりシュラフの内側が結露しているのか日に日に寒く寝ることができなくなってきた。最終日は新穂高までの踏み固められたトレースを特産の入山者とすれ違いながら下山。平湯の森の温泉でゆったりと汗を流し、松本のたくまで約10年ぶりに変わらぬ雰囲気の中、カツカレーを食べ帰宅の途についた。(雪崩れの件で声をかけてくれたのは槍の頂上で一緒だった人だったことが分かりホッとする。)若い岡野さんの体力には感心したし、何といっても厳冬期の北アルプス、槍ヶ岳ということで、天気、雪の状態など様々な難しい状況判断が必要な山行が無事終了できたことはリーダーの横田川さんのお陰と感謝し筆を置くこととする。