Omiya Alpine Club
山行報告
DATA CONTENTS
日付 2010/04/30〜05/03
日程 4月29日夜発〜5月3日下山帰宅(テント2泊、雪洞1泊)
天気 レポート参照
メンバー 横田川(L)、福原、chie
タイム 【30日】
扇沢トロリーバス(8:00)〜室堂(10:00)〜雷鳥沢野営地(14:30)
【1日】
雷鳥沢野営地(9:30)〜御前小屋(11:30)(12:10)〜剱沢下降〜
長次郎谷出合(13:40)→雪洞設営
【2日】
雪洞(4:00)〜5・6のコル(6:30)〜池の谷乗越(14:30)(14:45)〜
長次郎谷出合(15:40)
【3日】
テン場(7:00)〜ハシゴ谷乗越(8:30)〜内蔵助平(9:30)〜黒部峡谷渡渉点(10:30)〜黒部ダム下(11:30)(12:00)〜ダム駅(12:30)〜トロリーバス乗車(13:05)〜扇沢(13:30)
アクセス レポート参照
INTRODUCTION
GW,散々迷った挙句の行く先は剱岳・八ツ峰主稜となった。昨年の北方稜線の時、初めてので剱であった八ツ峰。その険しさに驚きと憧れをもった。役者不足は自認しながらも、チャンスは逃せないとチャレンジ。
29日夜行だったが、1日延期したにもかかわらず30日はやはり悪天。吹雪とガスで動けず。1日も9時ごろまではっきりしなかったので、結局行程が一日分減ってしまった。
結果、主稜の上半分、5・6のコルからの取り付きとなった。トレースはなかったので、いきなりの急登をリードするのは福原さん。ダブルアックスでよかった。面白い、といいながらずんずん登っていく。でもつづく私とリーダーははシングルだ。ピッケルを打ち直すときに左手の支持がなくて苦労した。そして、どこまでいってもずっと立つも座るもままならないような場所ばかり。ザックをおろすばしょもないまま、緊張の連続となる。わがパーティは全面的にザイルを出していたので時間がかかり、結局8峰の頭をおりて池の谷乗越にたどり着いたときには2時半を回る頃。本峰までまわるには微妙な時間となってしまったので、リーダーは迷いながらも下降を決定。長次郎谷を駆け下りる。予定の本峰も踏めなくてやや消化不良にはなったが、厳しいルートを経験できた。
 とはいえ、直前の寒気のおかげで登攀前半は雪もしまって助かった。薄いリッジで雪が腐り始めた午後はなかなかの緊張を強いられた。いろいろと技術的にも学ぶことの多かった山行だった。次はぜひ、全ルートを踏破したい。

室道キャンプ地
Report by 【chie】
ついにGW幕開け。事前に福原さんが問い合わせてくれた日本山岳協会の天気予報で、剱方面は29、30共に寒気の通過で荒れるとのこと。なんとか許容範囲内で、28日夜発の予定を1日繰り延べて29日夜発とする。先週の平標から中3日しかたっていないところのパッキングなので、何か忘れ物がある気がしてずっと不安。しかも3日に下山して4日に再度別山行に出る予定であったので、その分のパッキングもしなければならない。靴やアイゼン・ハーネスなどは仕方がないが、着る物・着替えなどはあらかじめ準備しておかなければ、というので大童だった。
昨年の北方稜線で、池の谷ガリーを越えてたどりついた池の谷乗越。そこで目に飛び込んできたのが八ツ峰。そのカミソリのように薄いリッジ。そこを渡るのだという。そんなことができるのだろうかと驚いたのが八ツ峰との出会いだった。それから1年。自分がそこを歩こうとしているのだと感無量。
 29日夜7:30に福原さんに拾われるが、使う予定の会のテントはポールのみ村上さんが持っているというので、急遽村上さん宅まで取りに伺うことに。村上さんとは3日夕方大町でメシでも食おう!という約束をして川越へと向かう。荷物は家を出るときに25kg、歩き出しはテントと飲み物1.5リットルが加わったので、27〜8kgだろうか。
 合流したら一路大町へ。人気も電気もない道を進んで12:30ごろ無料の市営駐車場着。3台ほど先行がいたが、すかすかの広い駐車場の片隅に停めて就寝。
 明けて30日、7:30のトロリーバスに乗るため、6時起床。ご飯を食べ、支度を整えて駅へ。ところがいってみるとすでに長い列。結局7:30にはタッチの差で乗れず、次の8:00発まで30分待つことに。
チケットは黒部ダムまでのみ往復を買って、残り室堂までは片道。大きな手荷物は210円チケットが必要。膝上に抱っこして身動きもとれず。ケーブルカーは凄い傾斜のトンネルを進み、ロープウェイ、さらにトロリーバスと乗り継いでやっと室堂に降りたのがすでに10:00過ぎ。黒部ダムあたりから雪が舞い始め、室堂を降りたら真っ白の吹雪状態だった。駅舎で支度を済ませて外に出るのだが、まずはどちらへ進むのかリーダーも判断できなくて、地図を見ながら迷う。とりあえず左手、みくりが池温泉方面へとスキーヤーに混じって歩き出す。1時間半ほど歩いて、行きかう人に確かめると、なんとそこは室堂のすぐ右手にある室堂荘だという。池をぐるりと回って、ほぼ元の地点に戻ったわけだ。30年ぶりだから忘れたというリーダーの言葉にがっくりしながら、雷鳥沢と思われるほうへ戻る。小1時間歩くとテント村発見。そこが雷鳥沢の野営地であった。雪崩の調査をしているとかいうグループに聞いて位置を確認すると、今日は剱沢はやめたほうがいいといわれる。言われるまでもなく雪とガスで何も見えない中、方向もわからないのに進むわけにもいかず、時間は早いが停滞決定。丁寧にサイトを整えてテント設営。ここで「ごめんなさいPart1」。私の担当といわれた銀マットを持ってくるのを忘れたことに気付く。ショック。エマジェンシーシートなど出してみるが役には立たず。痛い失敗で反省。夜はよこさん特製トン汁メニュー。福原さんは入れすぎというほどしこたま七味を入れる。
5月1日 
天気次第で今日も停滞か・・・。本来ならすでに長次郎出合まで行っていて、今日は1・2のコルから八ツ峰の登攀が始まっているはずだった。朝ごはんの後、誰を恨むでもないがもやもやどんより重い気分ですることもなく、福原さんは停滞後すぐに出られるようにテントをたたんで雪洞にしよう、と建設にとりかかる。私も暇なので踏み固めなど手伝いながら晴れそうで晴れない空に一喜一憂。単独の人がガスの中を出発する。迷いながら登っていくのを偉いなぁと心配に思いながら見守る。7時頃から明るい光が増し、時折青空の切れ端がのぞくようになる。すぐリーダーに知らせるがこちらは落ち着いたもので、「9時まで様子を見る」とお茶を飲んだりおにぎりを食べたりのんびりだ。ヤキモキしているうちにすっとガスが上がっていく。ひとつ、二つとパーティが出発する。それを偵察してやっとリーダーの出発宣告。テントをたたんで支度をして、9時。ようやく見渡せるようになった別山乗越へとトレースを追う。楽だけど、ガスの中出て行った人たちに申し訳ない気持ち。
 1時間ほど、一気に晴れ上がった空の下、別山乗越の斜面を登る。汗がポタポタと落ちる。スキーヤーは楽々とシール登攀。うらやましい。しかもこの晴れた絶景の滑走だもの。いいなぁ、滑りたいなぁとため息が出る。1本取った後は目に入ってきた御前小屋目指してもうひと登り。
だが、稜線直下までくると冷たい強風にあおられ、急激に冷える。小屋の影でヤッケを着込み、反対側の剱沢へと降りる。長く広い沢はスキーヤーがちらほら。剱沢小屋には15張りほどのテントができていた。トレースがひとつ、二つ。天気が悪かったせいか、人気(ひとけ)がない。
 1時間ほどで長次郎谷出合。作ったばかりらしいテントサイトがあったので、これをいただいて雪洞作り。なぜ雪洞になったのか、あとで思えばやや不思議なのだが・・・
 講習を受けた福原コーチ指導のもと、かなり凝った立派な雪洞を建設。ツェルトでドアをしつらえて下にはテントを裏返しにして敷く。壁にうがったニッチに2本のローソクが揺らめいて、心まで温まる。早めのご飯にして翌日に備える。メニューはアルファ米の五目御飯とカレー。星は出ているが、まだ風が強い。明日はどうなるだろう。登れるだろうか。このまま下手すると長次郎谷をつめて本峰のみとなるかもしれない。それはさすがにつまらない・・・。登るとしたら1・2のコルからにするか、5・6からにして本峰まで回るルートにするか、寝るまで迷う。トレースはとりあえずありそうなのを確認していた。
 1日日程を延ばして4日下山にするという案もでたが、あいにく私が家族に4日予備日をしっかり伝えていなかったので騒ぐかもしれないと、このアイディアは却下となる。そしてごめんなさいPart2。携帯の電源を入れっぱなしにしていたため、電池切れ。私が代表で持ってきていたのに、どこにも連絡がつかなくなってしまった。結局、1・2のコルからではトレースがない場合を考えてか、核心のある5・6のコルから上半分と本峰コースをとることになった。
就寝準備をするのだが、雪洞の天井からはポタポタと水滴が垂れていて、端っこの私の上に落ちる。ツェルトで雨よけをしてくれたけれど、足は伸ばせない。一晩中九の字で寝ていたから起きた時辛かった。福原さんも壁際で冷たかったようだ。

長次郎谷全景
5月2日 
風も納まり、天気はよさそうだ。いよいよアタック。やっと登れる。2時に起きて出発は4時。暗い中をヘッデンで歩き始める。長次郎谷は、1・2のルンゼ辺りまではトレースがあったが、その上はラッセル。5・6のルンゼがちょっと急で息が上がる。
いよいよコルから憧れの八ツ峰チャレンジが始まる。とりあえず目の前の壁はかなり急だ。福原さんがリードで行く。川越を出る時、福原さんは長いピッケルにするか、アックスをダブルで持っていくか悩んでいた。よこさんは「長いのいらないと思うけど。どっちでもいいよ」。結局福原さんの判断で、重いながらダブルアックスにしたのだが、ここでこの判断が大正解だということがわかった。この壁をノーザイルで登るとすると、ダブルでないと私なら絶対無理。凍って硬い、ほぼ垂直に感じる壁はアイスに近い。よこさんと私はシングルなので、左手のホールドがないままピックを打ちかえる瞬間2点保持になる。これが微妙で難しい。それでも蹴りこむ技術はわかるのでしっかり立ちこんでなんとか登る。しみじみアイスやっといてよかったと思う。そして、こういう場合はピッケルを使ってホールドを作るということを学んだ。まあ、ビレイされているから安心して登れるけど、シングルでリードだったらなかなか厳しい。
この壁が10mほど。ビレイ点までいってもそこは人ひとりいられるスペースがやっと。両側はこれぞ八ツ峰という切れ方をしている。私はそこに跨って次のターンまで待つ。この後ずっとそうだが、セカンドとサードは同時行動。私はダックを装着してセカンドでいく。よこさんは場所もないのでそのままリード。横から見ているとせり出した雪庇のすぐ上をいっているように見える。今にも落ちそうな雪庇。50mでピッチを切るにもどこにも安定した場所はない。よこさんも急な壁の途中でビレイ点を作る。セカンドの私が行くのだが、終わりのほうは左手で雪庇の端をつかみながら登る感じ。こんな経験は初めてだ。その頃、後続のソロが追いついた。なんと女性だ。凄い。きっと名のあるクライマーに違いない。「5・6のコルから来たのだけれど、トレースありがとう、助かりました」と言われる。早いので先に行ってもらって、福原さんがスノーバーを回収して上がってくるのを待ち、次の下降点まで。するとソロの女性が自分のザイルを使ってくださいと言っているらしい。見ると大きなキノコ状に雪を削って支点としている。ほほ〜、こういう方法があるんだ!と又も感服しつつ、私から使わせてもらい懸垂。ふくはらさん、よこさんと続く。
ただ、よこさんにいわせると、この支点にはザイルがくいこんでいたので、雪の状態からしてあまり感心しないという。
 ザイルのお礼に次はよこさんがリードでトレースを刻む。といってもそれほど大変なところではなかったので、ノーザイルの彼女にとってはあまり意味もなかったかもしれないが。6〜7m登った向こうはどうなっているかというと、これまた懸垂。ここは1mほど下の岩にシュリンゲがかかった支点があった。福原さんと二人行ってみると、よこさんと女性が支点に並んでなにやらもぞもぞ。女性が降りようとしてザイルが絡んだらしい。そのもつれが解けるのにかれこれ10分近くかかった気がする。
先ほどの支点にいるときにすでに、5峰を降りてきた最初のパーティが見えていたが、この2人が追いついた。見るとそれは、昨夕、雪洞を作っているときに声をかけれられた二人だった。その時の話によると、3稜からやるつもりが悪天で2日停滞したので、剱沢のテン場から偵察に来たと言うのだ。なんとびっくり。もうすぐ暗くなる時間なのにこれから剱沢小屋まで登り返すという。ひぇ〜〜〜。いくら空身とはいえ、なんという体力と精神力。タダモノではない!と思っていたら女性は東京YCC所属らしい。 
今朝も1・2のルンゼの分かれ道で追いつかれた。もちろん1・2のコルから先頭パーティとしてトレースをつけて来た模様。
やっとソロの女性が降りる頃、3番目のパーティが追いついた。これは若い元気そうな男性2人。よこさんがやっと降りて、私、福原さんと続く。待っている間「先に行ってください」と話したので、YCCパーティがザイルをしまうのを待って先に行ってもらう。我々は3人の上ずっとスタカット。どう考えても時間がかかる。追い上げられるストレスは嫌というのは私と福原さんの気持ち。福原さんがリードに出たあと、若者2人にもいってもらう。
 その先は左にせり出したグズグズの雪庇。高度も上がる。ソロの女性がトレース刻むのに苦労している。YCCのコンテが追いついた模様。福原さんがビレイしている横を若者2人が通過。支点ができて私が上がり、よこさんが来てまたつるべ。そしてもうワンピッチ福原さんのリード。これが7峰の登りであった。次は支点がなくていやらしいという7峰下り。ついてみると幅30cmほどのリッジの突端にソロの女性が待機、5mほど降りた下の鞍部にはYCCのコンテパーティ、そして若者2人はすでにその先の8峰の長い急壁に取り付いている。YCCの女性から「土嚢を埋めたけど信用しないでくださいね!」と声がかかる。ソロの女性がこれから降りるところなので、福原さんが土嚢の上に座って補助確保。女性は片手で懸垂をしながらシングルアックスでクライムダウンする。前を見ると、硬そうな急な長い壁を若者パーティの一人がダブルで登っていく。みんな見ている。見ているだけで緊張する。60mというザイルはどう見ても足りない。するとビレイのほうがコンテでワンピッチ分進み、トップがどうやら支点を作ったところであがっていく。続いてYCCがコンテで、間をあけずにソロが続く。みんな上手い。自信をもってこなしているのがわかる。ソロなんてずっとノーザイルだ。トレースがあるとはいえ、ほんとに凄い。自分が場違いなところにいるようで気後れしてしまう。いつかあんなふうになれたら・・・とため息が出る。
 しかし見とれてばかりいられず、降りなければならない。福原さんが行くのを私が補助確保、私が懸垂+クライムダウンしたあと、よこさんが来る。ちょっとした鞍部でやっとザックをおろし、ペコペコになったおなかに少しだけ食べ物と水をいれる。ここまで座る場所も立つ場所も、ましてザックを下ろす場所もない、緊張しつづけだった。顔が灼けるのがわかったが、日焼け止めを塗る暇もない。もうあきらめの境地。
ソロの女性が登り切って消えたところでこちらも出発。その直前に男性3人パーティが追いついてきた。私たちは鞍部をノーザイルで進んで壁の基部からふくはらさんがリード。続くピッチ、よこさんがリードに出たあと、座る場所もないので壁に立って待っていると、下から後続のトップがあがってくる。え、場所ないけど・・・と思っていると「すみませーん、そこいっても大丈夫ですか」と声がかかる。「ひとりならダイジョブですよ〜」と福原さん。すぐにあがってきた紫色のヤッケは慣れた手つきで素早く支点作りをすませると「うぃす!テンション!!」とびっくりするようなきりっとしたコール。下からもきびきびした応答。かっこいい。レスキュー隊みたい。やっぱり実力ありそうだ。羨望の思いが湧く。続く登高の先には初めての経験が待っていた。厚さ15cm程度のリッジが3mほど続いている。え?これどうやって渡るの?と考える暇もなく、ビレイしているよこさんから「リッジの向こう側にピッケルをさして、リッジを抱くようにしてトラバースするんだ」と指示。なるほど、そんな渡り方があるのか、とテンパった頭の片隅で思いながら極度の集中でトラバース完了。いや〜緊張した!もう気温も上がって雪もグズグズになってきた。立って待っている足元も不安だ。福原さんはダブルで進んでくる。そのまま最後の登りをリード。ここでまたノーザイルの二人組みに抜かれる。
登り切ったところが8峰の頭だ。ここからは最後の下り、いやらしい急な細い曲線の岩稜をクライムダウン。よこさんが「緊張する〜!」といいながら降りるのをまっていると、3人パーティが15cmのリッジに取り掛かっている。「うひょ〜ここ怖いね!」といいながら跨ってズリズリ進んでいる。一人が「ちょっと待て!写真とるから!」と回り込む。楽しそうにはしゃぐ3人はここを「木馬」と名づけたようで、笑いを誘う。ここでこの余裕。愉快な人たちに和ませてもらう。
私がクライムダウンしている間、福原さんはこの3人とお友達になったらしい。彼らは昨夕、雪洞作りをしている私に、剣沢を上がってきて手を振った人たちだった。隣の平蔵谷へと入っていったが、そこにテントを張ったのだ。福原さんに「雪洞パーティならお隣さんです!」といったそうだ。人懐こい3人と、これまた人懐こい福原さんはすぐに意気投合したみたい。池の谷乗越で私も言葉を交わして、一期一会の仲良しに。彼らは毎年GWには剣に来ているそうだ。去年はチンネを登ったらしい。とすると、すれ違っていたかもしれない。また来年も来るのかな?私も次に来るならどこをやろう?などと考える。
 その前に若者二人のパーティが、本峰へつづく斜面から降りてきていた。彼らはそちらが八ツ峰の終了点だと思ったらしい。私たちに「ここはどこですか」と聞いてきたので「池の谷乗越しでこっちが八ツ峰の頭ですよ」というと、なんだ、という顔をしてほっとしたようだった。聞けば山形からのパーティらしい。明日はテントを上げようか、チンネは登れるかと相談している。こうして、同じ日、同じ時間と場所を共有した人たちは、ずっと私の中で宝物となる。
 福原さんは、なんの確保もない中、フリーで最後の嫌な下降をこなした。さすがだ。そして彼は本峰を踏みたかった。それは昨日から言っていた。でも時間は微妙。14:30を回った。もし行けばベース着はかなり遅くなる。よこさんは、ここから降りようと宣言。私はそもそもあまりピークにはこだわらないのでどうしてもとは思わなかった。だけれど、後々まで、やっぱり行けばよかったなと、みんなで後悔した。無理しても行けばよかった。時間的には絶対に無理ではなかった。難しいルートをなんとかやったとは思えても、なにか中途半端な感じがぬぐえない。
アイゼンを取って、深い雪の長次郎谷を下りにかかる。1時間ほどであっという間に降りると、雪洞の目の前にテントが。長次郎谷入り口で様子をきいてきた団体さんのものらしい。5,6人の中高年グループだった
 雪洞は気温が高かったせいで中はすべてがべちゃべちゃに濡れていたし、壊れかけてきた。補修をしようとしたらなんと後ろの壁に穴があいてしまった。岩の隙間に当たったらしい。これで雪洞は放棄。ブロックを崩して平らにしてからテントを建て直す。徒労感満載・・・・。

木馬リッジ

7.8間のコル

8峰へ

7峰ナイフリッジ

6峰ナイフリッジ

6峰登攀

6峰へ

5.6のコルから源次郎尾根

5.6のコルへ
5月3日 
下山の日。天気はいいのに、せっかく苦労してたどり着いた剱に別れを告げる時が来た。最初からこんな天気だったら、すべての予定が消化できていたろうに、とても残念だ。
ロシアンルーレットのようにぼこぼこ落とし穴が開く剱沢を苦労しながら歩く。真砂の方や八ツ峰の3稜、4稜などを確認しながら、やがてハシゴ谷の出合から右手に折れる。最初の急な登りを越えたところで一本。シュルントのあいた斜面をトラバースしてもうひと登りすると眼下には内蔵助平が見える。前を行く先行パーティが遠く点に。テントも2張り。スキーをしたら最高に気持ちがよさそうな真砂の沢を眺めたり、おいしい内蔵助谷の沢の水を飲んだり、丸山の東壁に歓声を上げたりしながら快調に飛ばす。一度ルートに迷ったが、思ったよりも下りは楽だ。あっというまに黒部峡谷の出合いまで来る。リーダーは夏道を行こうとしたがすぐに無理とわかり、河原の雪渓を行くことにしたら、そちらに踏み跡を発見。美しく澄み切ったエメラルド色の水をみながら一本入れた後は、ダムを目指して歩く。1時間でダム下。早かった。あとは最後の嫌な登りを30分。トロリーバスの駅にたどり着く。ちょうど20分後のバスに間に合って並んで待つ。下界に下りて、文明の清潔な香りに囲まれると、自分の汗臭さが気になって仕方ない。髪の毛はぼさぼさに固まっているし、顔はおサルのように焼けている。まったくバッチィ・・・。
また一般客と一緒にバスに詰め込まれて15分ほどで到着。市営駐車場に戻ると、スカスカだったのが満杯になっていた。もちろん、駅の駐車場は空き待ちの車が長蛇の列。
下山報告を出すと待ちに待ったお風呂。込んでいたけれど、4日間の汗と汚れをきれいさっぱり洗い落とす。顔がヒリヒリする。まぁ、すばらしい感動の引き換えだからしょうがない。
携帯を充電しながら下界の情報を確認すると、早月尾根で事故があったという。それでは7峰あたりで聞いたヘリの音がそうだったのか。そういえば長次郎谷でも雪崩が起きていた。雪も腐っていたし、滑落だろうかと思いながら、改めて怪我ひとつせずに降りられたことに感謝する。(帰って調べると早月では滑落死、私たちが降りた内蔵助谷の隣、御前谷の雪崩に巻き込まれた山スキーの男性が一人亡くなり、一人重症とのことだった。合掌)。
 4時ごろ麻績ICから乗った高速は、松井田妙義からトータル50キロ以上の渋滞。川越に着いたのはすでに9時を回っていた。こうして残雪の大きな山行が終わった。いろいろあったけれど、無事終わってよかった。リーダー、福原さん、ありがとうございました。

雪洞の中

剱沢を下る